北川やすとし 兵庫県議会議員 六期

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活動リポート

2014.4.25

司法の中立について

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今日、JR福知山線脱線事故から9年が経ちました。私の事務所前の鳴尾支所でも半旗が掲げられ、亡くなられた方々への弔意を表しました。私自身、亡父の時からお付き合いのあった方がこの事故の犠牲になり、県民の安全・安心についてより深く考える日になっております。

災害には、このような公共交通機関の人的災害と、あるいは東日本大震災のような自然災害と、その発生要因によって分けて考えねばならない場合があります。また、その災害の責任の取り方については、原因やその後の対処の仕方によっても変わってくると考えます。いずれにせよ、結果から発生原因を作っていくということにはならないのが常識と考えられます。

JR福知山線脱線事故の公判においては、運転士の死去により、組織の上層部が運行の安全について監督責任を追求されていることは皆さんご存知のとおりですが、当初から世間一般には、社員の体調管理を怠ったことと併せて「過失」という認識が大半を占めていたと思います。

また、明石の花火大会での歩道橋で死傷者が発生した事故においても、当初、当時の警備担当の副署長が警察・検察によって起訴されることはなく、検察審査会によってようやく強制起訴され、時効という結果になっていることも新聞記事等でご存知のことと思います。

この2つの事案に共通しているのは、安全管理が不十分であったために死傷者が出るような大事故を引き起こしてしまったとしても、故意で起こしたとは誰も思っていない、ということです。

以前、ウェブサイト上でもお伝えしましたように、私の母はこの脱線事故の判決が下る数日前に、自ら命を絶ちました。

その数ヶ月前、選挙運動中、運動員名簿に登録していないことを知っていながら、その4名に対して、リーダー格にあたる人物になかば押し付けるようにしてお金を渡した、という嫌疑で逮捕・起訴されました。本来なら関係書類の不備がないことを確認してから処理するはずだったところ、くだんのリーダーが偽りの報告をし、それに対応した母が報酬を支払ってしまったのが事の真相です。

しかし、警察発表によるメディアの報道では、運動員名簿に登録のないことを知っていて報酬を支払った、つまり「買収」であるという内容にすり替わっておりました。

いったい、何の目的でわざと運動員を登録しないということがあるのでしょうか。単なる書類の記載漏れという過失というのがごく自然な解釈です。その「過失」を「故意」にして得をするのはいったい誰か。事件が大きくなることによって褒賞や出世に繋がる機関であることは誰にでも察しのつくことです。

JR福知山線脱線事故も明石の歩道橋事故も、そして母の「司法の手による事故」も人災であり、死者が出ていることは共通していますが、こと公判に関して民間と司法の立場で比べて見るに、司法の場合、明らかにそのプロセスと結果に大きな差異が生まれているのも事実です。司法のありように、かような違いがあるのはなぜなのか、事故に関する新聞記事に目を通してもその答えは一向に見い出せません。

献花台にて手を合わせ亡くなられた方々のご冥福を祈りつつ、このような事が繰り返されない為に真相追求を継続し、必要とされる対策が講じられるよう、またそれと併せて、誰の目から見ても分かる司法の中立性が保たれるよう、今後も冤罪撲滅に向けて発言し活動していくことを誓いました。

投稿者:北川 やすとし


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