昨日、地元の日刊紙に司法取引制度の法案通過の記事が掲載されておりましたが、社説にまさに私が危惧する事そのものが書かれていました。
神戸新聞NEXT|社説|刑事司法改革/冤罪防ぐ原点に立ち返れ
しかしながら、私自身の経験としては、今まで相談してきた弁護士たちも異口同音に申しますように、メディアと司法が流す真相ではない先行報道によって世論を間違った方向に誘導し、弁護側の冤罪を被った方を救済する公判での活動が妨げられる事も重大な問題です。
メディアは、判決という重要な場面を待たずして警察が流す情報を先に結果論として、司法側が描く方向性で報道することが非常に多く、無罪が確定した村木さんの場合もそうであったように、警察の恐喝まがいの捜査やそれを証拠とした検察の起訴が横行し、そのあげくに矛盾点が露わになり司法側が墓穴を掘る、といったことが往々にしてあります。
そして、その結果、被告側に有利になったとしても、ほとんど報道されず、たとえ掲載されても初回報道時に比較して、かなり小さな紙面しか割かれません。
事実、私の母の時の公判の際にも、明らかに矛盾が生じたと云わざるを得ない検事の発言は、まったく報道されませんでした。
なぜ、司法にとって不都合なことは書かないのか。なぜ、まだ真相も判明もしていない警察情報を元に記事にするのか。今回の件を通じて、司法の出鱈目さを承知しておきながら、そのまま記事にしてきた報道姿勢が冤罪を助長していることについて、メディアは自ら襟をただしていただきたい。それなくしては冤罪がなくなることはないでしょう。いやむしろ、冤罪が増えるのではないかと危惧します。