先日、JR福知山線脱線事故の追悼慰霊式に出席して、少々思うところがありましたので書き記しておきたいと思います。この事故で起訴されたJR西日本の山崎正夫前社長に対し、神戸地裁は、「危険性を認識していたとは認められない」などとして無罪判決を言い渡しています。
神戸地裁の判決ということについてどうしても私の頭をよぎる出来事があります。実はこの判決の一ヶ月後に、選挙活動における手続きの不備を悪意に咎められた母の判決が下されることになっておりました。しかしその日を迎える前に、母は罪を着せられたまま自ら死を選びました。
明石の花火大会歩道橋事故では、検察審査会が3回も起訴相当の議決をしながらも、明石署の副署長は不起訴になっています。そして、今年2月20日に出された判決では、裁判の手続きを打ち切る免訴(求刑・禁錮3年6月)を言い渡しています(検察側指定弁護士は控訴)。
これらの事故と母の事件を同列に論じるのは、あるいは適切ではないのかもしれませんが、果たして司法は誰に対しても法の下の平等という原則に基づいて判断しているのだろうかということを考えずにはいられません。
私は私自身の体験を踏まえて、司法の正義について、今後様々な活動を通じて問い続け、究明していくことを決心しています。そして、無実の罪で悲しみにくれる人々が皆無になる世の中にしたいと願っています。折りにふれ、ここでもご報告できるものと思いますので、どうかご支援賜りたいと存じます。