北川やすとし 兵庫県議会議員 六期

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活動リポート

2015.12.31

冤罪撲滅のための取り組み〜志布志事件弁護団の野平康博弁護士に聞く

shibushi20151231

【この記事は県政報告より転載しております】

●冤罪撲滅のための取り組み〜志布志事件弁護団の野平康博弁護士に聞く

北川やすとし県議は、12月18日、鹿児島志布志事件の弁護団の中心となった野平康博弁護士を訪ね、取り調べの可視化や、自白調書の偏重傾向、冤罪事件に対するマスコミの姿勢などについて、お考えをお聞きしました。

「留置人出し入れ簿」と「事件指揮簿」

北川 母を取り調べた取調官に対して刑事告発を検討しています。ただ、取り調べの際のノートが確か段ボールに2〜3箱あったですが、それが出されていません。

野平 日弁連では、取り調べの可視化のための「可視化ノート」(被疑者ノート)を導入する運動をしているのですが、それはありましたか?

北川 いえ、ありませんでした。

野平 被疑者段階の弁護人が面会をして「可視化ノート」を作るのですが、それもなかったんですね。それがあればよかったんですが…。

志布志の案件はひどい案件でして、取り調べもいわゆる「たたき割り」( 精神的に追い詰めて自白を強要する鹿児島県警の独自の捜査手法)だったわけですが、お母さんの場合もそういう取り調べを受けた可能性があるけれども、記録がないんですね。

実は、刑事公判の中では、警察に「留置人出し入れ簿」というものがあるのですが、それは出されていませんか?

北川 そういうのは見たことがありません。

野平 志布志の場合でも、出せ出せと言っても刑事が隠し続けて、全部出してこなかったんですね。で、一部だけ出してきたんですが、ある人なんかは毎日のように泣いているとか、留置場の壁に頭を打ち付けて「死にたい」と叫んでいるとか、というようなことが記録されていたんです。つまり、そういう状況の中で、自白調書ができあがっていく。一方でその被疑者は自分でどんな取り調べがなされたかを自分でノートをつけていたんですが、その内容が調書の内容と合うんですね。本人がどんなひどい取り調べを受けているかを訴えていた。

そういうのがあると、取調官に対する告発が通る可能性もあるわけです。だから、証拠資料がどこまであるかということに尽きると思います。証拠はまだあるんですよ、持っているんです。それを取りたいんですが。まあ、刑事事件で警察が本当にちゃんと調べるか、ということですが、調べないんですよね。

どうやって捜査が進んだのかということについてですが、県警本部長があるところに「事件指揮簿」というのがあります。これは本部長指揮事件と呼ばれる事件で、県警本部長からの指揮を受けて捜査に着手するという流れなんですが、どういう事情で捜査に着手することになったのか、また、証拠関係についても指揮伺いの中に記載されています。また、指揮を伺ったら捜査二課が本部長の決裁を請けて指揮をするなどのやりとりが記録されています。

だから、お母さんの取り調べに関して、金銭を受領した側の人の話とか、それを探知した情報とかが「事件指揮簿」には記載されていて、これが手に入るのと入らないとではその差は大きいです。ですが、現在では、全国の県警は情報公開条例の除外文書にあたるとしてこの「事件指揮簿」を出さないという傾向があります。そこが非常に問題で、そういうものが出てくると、いかに捜査が不適切に行われていたのかが分かるのですが。

実は、平成23年、24年当時、志布志の事件を受けて取り調べの適正化指針というものが示されていて、異常な取り調べがなされていれば、捜査段階で苦情を申し立てられる制度があって、それによって随分、捜査の厳しさも緩和され、取り調べ時間なども制約を受けたり、監督官制度も導入されてひどい取り調べをできないようになっていたんですが、そういう申し入れをしておけばよかったんですね。その上で、適正事実、真実に従って、やったことはやったこと、やらなかったことはやらなかったことという色分けをちゃんとできたんでしょう。

一回、あの人たちは始めると、メンツがあるものですから、逮捕まで行くとやめられないみたいですね。

北川 いまの警察、検察の情報開示のやり方を、今後きちっと変えていかなければいけないと思うのですが。

野平 やはり、立法から変えていかないといけませんね。司法には限界があるということはお母さんの裁判でもお感じのことと思います。

たとえば、情報開示については、最近は、任意でも公判前整理手続きと言って、公判前に証拠開示請求が認められるようになり、だいぶ関連する証拠の開示が進んでいます。ただ、志布志事件の場合、それがないため、裁判がさみだれ的に続き刑事事件が終わるまでに3年7ヶ月かかったんですね。長いんですね。その間、長い人で395日間勾留されました。実はここに裁判所の問題があります。

裁判所は、勾留を認めた判断を覆す準抗告(釈放)に対して、在所隠滅の恐れがあるなどという抽象的な可能性を元に、これを認めない、勾留の取り消しを認めない。こういうことは、日本の刑事司法の中に頻繁にあって、これを「人質司法」と我々は呼んでいます。

憲法の38条の規定によれば、人の口によって、自分の口によって有罪を語らせるのは、本来はできないはずなんです。で、相手の手元の中にいて、こちらとの接見を制限されながら取り調べが続くということは、いわば敵の城の中にこちらの人質を入れ込んで、そこで異常な取り調べをガンガンされて、自白を強要されるということなんですね。

志布志事件の場合、藤本いち子さんは、逮捕されたのは4月22日なんですが、保釈される8月13日までのあいだ毎日のように平均10時間以上取り調べられて、それはもうひどいことでした。その中で自白を強要される、応じなければこれが延々と続くぞと脅される、そういうことを繰り返されたわけです。

現実には日本の裁判制度というのは、供述調書頼りであったんですが、裁判員制度の導入などで少しずつ変わりつつあります。被害者供述にしても、被疑者(被告人)の供述にしても法廷での証言しか証拠としては認めない、というようになってきてはいるんですが、いままでは調書頼りだったんです。

権力とマスコミの関係

北川 メディアはなぜこういうことをもっと取り上げないんでしょうか。私の場合、検察側の思い込みという、証拠関係に不備があることを司法記者はまったく書きませんでした。

野平 マスコミの問題は大きいと思いますね。公職選挙法は、自由な選挙という側面が大きく損ねられていると思います。あまりにも縛りすぎている。結局、警察権力が国会議員、地方議員などの選挙に対して入り込む余地をたくさん与えているんです。だから、権力によるゆがみがあり得る、本当に選挙の公正さを守るためではなくて、偏った権力による、現在の権力を守るために作用している部分があるんじゃないかと思うんですが。

北川 なぜこういうことがいつまでも続けられるでしょうか。

野平 それは私も分かりませんが、たとえば志布志事件でも問題を超した後、監督官制度という新たな制度の導入のために予算を獲得しています。だから、ただでは起きないだけではなくて、どんどん焼け太りしてるんじゃないですか。要するに警察権力自体が、とどめられないくらいに大きくなっている、という背景事情があるような気がします。推測ですけれども。

結局は、いったん始めた捜査は簡単にはやめられないという仕組みが、何かあるんでしょうね、大きな力が働いているんでしょう。よく分かりませんが。

北川 憲法にもとっているんじゃないでしょうか。

野平 憲法の刑事訴訟法の本来の部分が機能していないまま残されているんです。たとえば、刑捜法で言えば、さきほどの捜査指揮についてはどこにも書いていません。

189条に、警察職員は犯罪があると思慮する時は、人および証拠を捜査することができる、という規定になっているんですね。この「思慮する時」という部分は、「主観でもできる」ように読めますが、実はそうではないはずです。「思慮する」というのは「証拠がある」「嫌疑がある」ということです。だから、そこに事件としての疑いがきちっとないといけません。そしてそれは、証拠上、明確にないと捜査できません。

公職選挙法の場合、証拠がない場合が多いです。金銭の授受があって、その領収証が押さえられているとか、饗応接待があり、ある宴会場を使った事実があって、その領収証が後援会宛になっているとか、それを個人で負担した形跡がないとか、そういう証拠があって始めて犯罪捜査になるわけです。

だから、本当はそういう証拠がありますよ、だから捜査着手していいですか、という指揮伺いを立てるというプロセスが、後できちんと検証できるようになっていないといけないですし、刑捜法上もそれがないといけないはずなんですが、そこは警察官にみんな丸投げされているんですね。

北川 それはおかしいですね。

野平 おかしいんです。弁護士の多くは不備のところを感じていると思うのですが、日々、個別の案件を処理することに追われています。こうした一般論的な話は、やはり法律によって変えていく必要がありますし、国民が判断していくものですね。

北川 その国民が判断するための材料を与えるところが、あまりにも弱いんじゃないでしょうか。

野平 我々も、志布志事件なんかでも発信してきた訳なんですが…。接見秘密交通権侵害という事件もありました。組織的に弁護人と被疑者被告人が接見しますよね。そうすると、それを「何を話したか」と訊きだして調書化するんです。本来これは許されない行為です。

弁護人がどういう打ち合わせをするかというのは弁護人の権利でもあるわけです。この裁判をどう戦っていくかという訴訟戦略を考える上でも、事実はどこにあってどのあたりを証明するのか、させるか、というところを考えて争うわけですから。たとえば、アリバイの話などもちいちいち調書に取られているので、アリバイつぶしをされてしまうということもありますよね。そういうこともひどい取り調べを受けて訊かれているんですね。この調書だけでもひとりあたり、22〜23通の調書があります。そのことが発覚したので、鹿児島弁護士会が支援をして国賠訴訟を起こし、それが認められたわけですが、それでも、「弁護人と何を話したか」と調書にされています。今でも。

そうしたことを我々も発信はしているんですが、マスコミというのは、やっぱりかわら版なんじゃないですか。おもしろおかしく書いて、事件を売り物にして、事件が起こることがむしろ彼らの売り込みになる。そしてそれを過大に誇張して書くということがありますよね。本当は、事件を起こした側も被害者の側もそれぞれ想いがあるはずなのに、そのことには触れないですね。

北川 一方で、警察や検事をたたくということも、彼らにとっては面白い記事になるのに、やらないですよね?

野平 でもそれをやると、事件の情報をもらえなくなるので、自分たちが記事を書けなくなるんでしょうね。いたちごっこになるんじゃないですか。彼らにとってはやっぱり警察情報が頼りなんですよ。夜討ち朝駆けして情報を集めていますね。だから、警察官から情報集めていると、本当はしゃべってはいけない情報まで出てくるでしょう?「被疑者はこう言っている」というような部分まで漏れてきますが、あれは本当はしゃべってはいけないんです。「認めている」とか「認めていない」とか、そんな情報は本当は発信してはいけないんです。彼らにも捜査妨害をしてはいけない、という規範になっているんです、刑捜法は。

捜査というのは、犯人と思われる者を捕まえて、証拠を集める、ことを言いますよね。で、それをちゃんと残して裁判で有罪にするための手続きになっているはずなんです。ところが彼らは、それを被疑者段階でどうしゃべってるとか、ポロッとマスコミに流してしまうわけです。あれは、なんか癒着があるんですかね、我々からすればとんでもない話なんです、弁護人としては。ただそれを抗議したところで、「俺たちは知らない」と警察は言い張りますし、マスコミは情報源を秘匿するということで言わないですよね。でも流しているとしか考えられない、あり得ないですよね。

元々、日本の警察に対する信頼の原則があって、マスコミとの癒着がこの社会を支配している。元々、勧善懲悪という思想が日本にはあって、そこに乗っかっている、だから崩せないんじゃないですか。真相がどこにあるのかというのは、実はなかなか解明できることではないし、マスコミが流す事実がすべてでもないし、間違っていることもたくさんある。実際、間違った報道はたくさん出されてますよ。ぼくらの経験で、日々の逮捕事件でもあります。認めていないのに認めているとか流されたりしたこともあります。そういうことはありますよ。

マスコミが事件を大きくしたのは、志布志事件ですね。でも、マスコミは一部自浄作用を働かせて、志布志に関してはこちらの立場をよく理解して報道してくれたという面もあります。そうでなければ、志布志はつぶされてしまった部分もあると思います。そういう点では、マスコミがいろいろ書いてくれたことは意味があったと思います。でも、ひとたび敵に回してしまうと、全然逆の作用しかないですね。

北川 敵も味方もないはずなんですけれど。

野平 本当はそうですね。

自白調書偏重と科学的証拠保全のシステム不全

野平 一介の弁護士としては、日々具体的な案件を解決することによって、「こういうひどい問題起こっている」と発信することはできますけれども、それを変える力にはなかなかならないんじゃないかな、と思っています。

たとえば、いまぼくが関わっている強姦事件では、控訴審でDNA鑑定によって被告人は無関係であったことが分かっていた、科捜研では定量がなかったので鑑定できなかったと証言しているのですが十分鑑定できていた、という証拠まで出てきました。そういう日本の科学捜査のレベルの問題、質の問題はあります。そういったことは、ノートに記録して写真を付けて、後で検証できるように残しておくべきなんですよね。なのに、ただ「見た」というだけで有罪にされるわけです。

つまり、証拠をきちっと確保するシステム、収集、保全するシステムが不全なんですね。そこにチェックも働かないわけです。で、裁判でそこをチェックしないと行けないんですが、裁判所がそんなものを証拠として認めるから、ますます図に乗ってしまうわけでしょう。

供述調書をそのまま裁判所が採用するものだから、任意性に疑いがあったりする、つまり本当に自分の意思ではなく、強制的な取り調べの圧力によって書いたものなども、そのまま任意性ありで証拠として採用してしまうということをやってきたから、どんどん作ったわけでしょう。自白を取ればおしまいだと思ってますよ、自白調書があれば足りるんだというのが警察です、もうそういう意識しかないんです。

それを変えるための可視化ではあるんですけれども、裁判所もそれを「是」にしてきたという結果が、我が国の刑事司法における、捜査側の「自白偏重」の位置づけになっているんです。

北川 検察もそういう振る舞いをチェックすべきだと思いますが、むしろ警察の言うとおりに動いてしまうように感じます。

野平 その通りなんですね。公判を維持して処分を決めるのは検察官ですから、証拠をチェックするのと同じく、取り調べ状況についてもチェックするべきなのです。先ほども言いました、「留置人出し入れ簿」の提出を要求して、なぜ毎日のようにに泣いているのか、どんな取り調べをしているか、チェックすることができるんです。

公職選挙法違反事件では、警察官が警察の取調室で取り調べておいて、途中で検察官と入れ変わってそこで取り調べする、ということがあります。

北川 はい、そうでした。

野平 そうすると、警察官に取り調べられているのか、検察官に取り調べられているのか、被疑者側からすると分からなくなります。で、それを重ね録りするんです。警察官に自白したことを、そのまま検察官に自白する、今まで否認していたことを自白するということになったら、すぐ検察官と交代して自白書を作る。何故かというと、検察官調書というのは証拠として認められやすいわけです。警察官の調書よりも証拠能力が高いので、すぐ入れ替わってでもするんです。そういうことが起こっているんです。本当はここは分離しないといけないんです。

北川 私の母の時にも、それがありました。これからも発信していくことで、刑事司法の問題を浮き彫りにし、我々の問題として盛り上げたいと思います。本日はお忙しいところ有難うございました。

投稿者:北川 やすとし


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