北川やすとし 兵庫県議会議員 六期

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活動リポート

2015.3.2

袴田ひで子さんと冤罪防止で意見交換(県政報告平成26年9月号)

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※この記事は、「兵庫県議会議員北川やすとし県政報告」平成26年9月号より転載したものです。

【袴田ひで子さんと冤罪防止で意見交換】

昭和 41年に静岡県の一家 4人が殺害された袴田事件で、今年 3月に再審開始が決定、釈放された袴田巌さんの姉・ひで子さんが、8月 9日午後、県弁護士会が主催する講演会に講師として来神しました。講演会に参加していた北川やすとし県会議員は、講演のあと、ひで子さんと冤罪の防止や取り調べの可視化の推進について意見を交わしました。

「無罪願い元気で頑張る(袴田さん )」X 「可視化率上げる国家賠償を(北川県議)」

北川:公職選挙法違反の公判中に、私の母がノイローゼになって自殺しました。周囲の人達の調書を取っており、「取調室で警察官に知っていたことにしないと、この人達に迷惑がかかる。罰金と2日間の拘留で済むと思わされてサインをした」と生前の母に聞きました。調書は出てこなかったし、罪は懲役レベルになり、公判ではつじつまの合わないことは全てこちらに押しつけました。弁護士が頑張ってくれたが、関係のなかった人達まで取り調べをし、その人達に母を攻撃させ、自殺に至ってしまいました。

袴田:それは警察の常套手段です。

北川:そう思うと弟さんはよく頑張られましたね。

袴田:私たちは最初から巌を信じていました。そして私たちだけではなく巌が強かった。ボクシングをしていたから肉体的にも強かったし30歳で若かった。未決の時に2人の兄と面会に行くと、巌が事件のことを一生懸命言うんです。「巌は元気で良かったね」と、私たちの方が励まされました。でも、死刑が確定してからは、がらっと変わって、いろいろおかしなことを言いはじめ、拘禁症がひどくなった。面会に行くたびに目に見えて悪い面が出てきて、最終的には面会拒否が始まりました。

北川:母はそれで耐えられなかった。メディアも公判で弟さんの主張を書かなかった。検察の主張と照らし合わせて世論に問わなかったのは、おかしいことです。

袴田:あの時代は警察のやることに間違いはない、警察に調べられるようなやつは悪いやつだと…。ボクサーくずれで、ろくでもない人間だというレッテルを張られてひどい目にあいました。

北川:私は政治家ですから、警察は“金”に結びつけて世間に悪いイメージを植え付けてしまいました。

袴田:警察にとってイメージを壊すことは大事ですからね。

北川:これから再審ですね。

袴田:これまで48年間待ちましたから、ここ3年、5年はまだ元気で頑張れます。無罪放免になるのを願っております。

北川:母の事でシステムの改正を目指す、国家賠償請求を準備しています。可視化の率を上げ、刑事罰をしっかり整えることを求めるという、お金ではない刑事告発の内容にも似たものです。これからの冤罪被害者を救うという内容で考えています。

袴田:よく分かります。どうぞ頑張って下さい。

北川:これからも応援していきますので、弟さんと頑張って下さい。

投稿者:北川 やすとし


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