30日より1日仙台市宿泊で、自民党県議団有志で東日本大震災被災地の現地調査に参りました。
既に6月今回訪問しました陸前高田市での奉仕で惨状は目の当たりにしておりましたが、瓦礫その他が無くなった、あるいは少なくなった、当時厳しかった臭いが無くなったという以外に、今度は何もない廃墟の広がりをただ呆然と見つつも現状の厳しさを改めて認識しました。
瓦礫も福島の放射能汚染の懸念も有る物の処理問題もあり、また市街地で有りながら地震、津波の影響で地盤沈下が起こり、満潮時には自然と海水が市街地の道路建物に浸水して行く現状には前回訪れたときには意識が行かず、更に街区計画への大きな課題を確認しました。
兵庫県も阪神淡路大震災の経験があり、また私も当時の被災者の一人であり、周囲にも同様の方が多くいらっしゃいますが、この惨状はまったく異質で言葉を失います。
その中でも全国で群を抜いて公私共に奉仕の人数も多く、現在も兵庫県内の方が多く活躍している状況は、震災で受けた心の痛みを誰よりも身を持って知っているからでしょうか、誇りに思います。
また先日甲子園駅前で自民党青年局青年部で活動して集めた募金を、この被災以降始めて開催された岩手県の沿岸南部杯少年野球大会に届ける役目もあり、当時のままの廃校横のグラウンドで大漁旗の下で懸命にプレーする少年野球の皆さんに、なにがしか逆に励まされ熱い思いがこみ上げて来ました。
翌日の、宮城県議会での被災の経験を活かすべくその反省とこれからの復興計画には、これから実行して行かねばならない課題の多さに圧倒されましたが、東北だけの問題でなく、近い将来予測される東南海地震に備えるべく、月並みですが関西はもとより日本一丸となって継続して復興計画に取り組んで行かねばならない、その事を強く感じました。