さる12月13日、衆議院議員時代に国政の場で冤罪を防ぐ活動に取り組んでおられた若狭勝弁護士とオンラインで対談しましたので、その内容を公開いたします。
北川泰寿県議(以下、北川):
若狭勝弁護士は、検事から弁護士に転身した経歴を持っておられます。検事時代と比較して、司法の冤罪はどう改善されているのでしょうか。
若狭勝弁護士(以下、若狭):
まず、冤罪に対するスタンスを申し上げると、「冤罪はこの上なく正義にもとること」 であると言えます。
検事になる前の司法修習生時代に、ある強制わいせつ事件を調査しました。容疑者は起訴され有罪になったのですが、私は修習で最初に検察に行き、 その後に弁護士の側に赴き、最後に担当裁判官のところに足を運びました。つまり内側から全部を見たのですが、40年近く前の経験ですが、今でもあれは冤罪だったと思っています。その時、冤罪防止について「検事になって、疑わしい事件は起訴しなければいいのだ」と考えて検事になりました。
いま、冤罪というものがなくなったかというと、残念ながら否です。同じ冤罪でも種類があり、一般事件や殺人事件とは異なる次元で、誤った起訴がなされることがありえるのです。
袴田事件など一般的に言われる冤罪について何が原因かというと、検事や裁判官の 職業病だと言えるでしょう。犯人ではないと分かっていながら検事が起訴することはまずありません。ほとんどないと言っていいです。ただし、一度起訴したら有罪にしなければならないというところまで突き進みます。これは政治案件も同じですが、そういう職業的な背景があるのです。
また、裁判官の職業病としては、真実を訴えている人の声を聞けなくなってしまう ということがあります。
例えば次から次に起訴されて否認し続けたが、結局は犯人だったという証拠が明らかになる。そんなことが続くと裁判官は、無罪を主張している人がいても「またいつものパターンだろう」と解釈してしまうのです。つまり聞く耳をもたない。それで、一度起訴されると裁判官も有罪ありきで突っ走ってしまうのです。この職業病的な部分に由来する冤罪は、今の制度を前提とする限り、なくなることはないだろうと思います。
ただ、刑事司法においては相当、捜査の適正は良くなっています。私も現職の時に、「可視化が必要だ」「取り調べの録画録音が必要だ」とかなり強く訴えたことがありました。その頃と比べると取り調べの可視化や録画・録音は相当進んでいます。
また、 取り調べ時間もかなり時間的制限がかけられています。徐々にではありますが、良い方向に向かっていると思っていますが、冤罪をなくすという意味で十分かというと決してそうではありません。
北川:
若狭弁護士は衆議院議員の経験もあり、冤罪を防ぐ活動を国政の場でも取り組まれました。私は地方議員の立場でさまざまな冤罪事案に接し、対談を重ねながら取り調べの可視化に取り組む活動を行っていますが、なかなか改善せず悔しい思いをしていま す。議会で発言を重ねても浸透せず、政治の限界を感じています。そこで国政時代の経験から、政治家がどのように動けば冤罪を防ぐ活動が広がっていくとお考えでしょうか。
若狭:
政治家はもとより、国民も冤罪に対して距離があります。わがごとと考えていないことに大きな問題点があるのです。 私も政治家の時に、法務委員会に所属して可視化の問題などを進めていました。しかし多くの政治家は、問題意識を持ってはいるが、切実に、わがごととしては考えていないのです。いわば、評論家的に捉えている傾向にあります。
国民も同じで、いつ自分の身に降りかかるか分からないという切実な意識がないのです。また、国民には 「お上意識」というのがあって、警察や検察は間違ったことはしないという抽象的な信頼感を持っており、これらが冤罪問題に取り組む際の高い壁になっています。
ではどうするのかというと、結局はわがごととして分かりやすく、「自分たちにも 降りかかってくる問題だ」と強く意識すると国民は声をあげ始めます。そうなると政治家は国民の声に呼応して動きます。
しかし、政治家が自ら動いて国民に危機意識を持たせようと政治活動の大半を費やすのは戦略として妥当ではありません。政治家が国民の意識を醸成するというより、国民から声をあげて政治を動かしていく方がスム ーズだといえます。まず、分かりやすい案件をきちんと理解できるように伝える。これをわがごとに置き換え、危機感を持ってもらうのです。
例えば、首都直下型地震が 30 年以内に 7 割の確率で発生すると言われていますが、現在の人たちは 30年以内に起こるという災害に抽象的な危機意識しかなく、わがごとと受け止められていないので す。しかし、「30 年以内ということは、明日かもしれない」と考えると、危機意識は強くなり、それで政治は動きます。
冤罪も具体的な案件から一人でも多くの人に理解してもらうという地道な作業こそが、「急がば回れ」として必要ではないかと思いま す。
北川:
パソコンなどに収めればいくらでも動画を保存することができるので、やろうと思えば可視化は簡単にできます。または、取り調べ中に弁護士が横に立つだけで冤罪はか なり防げる可能性があります。経費も少なく、難しい話ではありません。
若狭:
可視化はどんどんすべきだし、東京などは一般事件を含めて可視化をしています。ただ、検察での可視化はやっているが、警察による初期段階の取り調べでは導入は少なく、ここを打開しなければいけません。
一方、可視化や弁護士が立ち会いをすると、本当に犯人だったとしても事件が起訴できなくなる可能性が 1~2 割くらいはあると思われ ています。つまり本当に悪いことをした人間が、弁護士立ち会いなどをさせて起訴されず処罰を受けないということが起こってもよいのかという問題も生じるのです。これが一つの壁なのだろうと思っています。
北川:
同期の検事の任官に郷原信郎弁護士がいらっしゃり、冤罪についてコメント等をされていますが、世間では冤罪は対岸の火事です。メディアでは取り上げられることが 少ない冤罪問題を国民に認知してもらうにはどうすればよいのでしょうか。
若狭:
やはり、冤罪問題が大変な問題であるという認識がマスメディア側において弱いということがあります。そのうえ、警察や検察は「説明しない・公開しない・処分してもなるべく何も言わない」というスタンスです。
ところが、何も言わないということが結局はいろんな問題の一要素になっているのです。検察はマスコミに対して、事前に想定問答を考えて臨みます。ここまでは言う、 言わないという境界を設けて発表します。
しかし、政治をはじめ、あらゆる動きに説明責任が求められる現在、警察も同じように説明責任を果たすべきだし、それが冤罪防止の抑止力になる可能性もあると思うのです。
詳細は説明できないまでも、なぜ起 訴されたのかをきちんと理解できるぐらいの情報公開をすべきです。マスコミがそうした視点でとらえていくことが、冤罪を防ぐ一つの要因として重要だと思います。
北川:
私の母親の件でいうと、裁判は結審しないと事実は分からないという流れの中で、マスコミは警察や検察の発表だけ書いて被疑者側の事情は書いてくれないのが現実です。 それなら結審を終えるまで書かなければいいのではないかと憤りましたし、反省してほしいところです。
若狭:
日本の刑事司法において、いわゆる精密司法というものが運用されています。諸外国と比べて、日本の刑事司法は精密に有罪になるものだけを起訴している、つまり 99% 有罪率という扱い方を精密司法と言いますが、これに惑わされるのです。
マスコミや 国民は、起訴されたから有罪なのだろうと考えるのです。マスコミは精密司法のもとでは有罪になるという先入観が働き、弁護人の言い分は必要最低限のことしか書きま せん。または、全く取り上げないという現実があるように思えます。
私が刑事弁護をやっていて非常に感じるのは、検察と弁護人の力の差は証拠収集能力や情報収集能力においては検察の方が勝っているということです。弁護人には証拠収集能力、証拠を見る機会やチャンスに歴然たるハンディキャップがあるわけです。 そこをマスコミに着眼してもらわないと、この問題はなくならないと思います。
北川:
海外の方が日本の司法の問題点を的確に把握しており、冤罪撲滅のためには海外からの指摘の声を広める必要性があると考えています。国連からも「人質司法」と呼ば れていますが、改善の兆しが見えません。
若狭:
日本の刑事システムは、ある意味でとても遅れています。例えば、起訴状は郵便で送られてくるので被告人、弁護人に届くのは起訴されてから 2 日後くらいです。しかし、その段階で検察がもっと早く弁護人に送るような手段をとるべきです。それを しないことは、原則として保釈を認めないという動きに繋がっていくのだと思うのです。起訴状が手に入らないと、保釈請求ができないからです。それが今の法律なのです。保釈をしないことが前提とされている法制度になっている。
全面可視化、録画録音はご指摘の通りすべきで、弁護人の立ち会いが仮に認められな いとしても全面録画録音をしていればそれである程度担保できると思います。
北川:
裁判の中で被疑者がする宣誓は「嘘をつかない・正直に全部話す・真実を話す」ですが、本来であれば逮捕した警察、また起訴した検事にこそ宣誓を求めなければならいのではないでしょうか。また、裁判の証拠は結審後に全部提示するべきです。それによって取り調べの中の事実が明らかになるのですから。母親の件でいうと、検察は最後まで証拠を私に開示することはありませんでした。
冤罪撲滅の道はまだまだ長いと思いますが、これからも続けていきたいと思います。