去る2024年12月26日、弁護士の小川秀世先生と「袴田事件」について、Zoomで対談しました。
「袴田事件」とは
昭和41年6月30日未明、静岡県清水市(現・静岡市清水区)で住宅が全焼し、みそ会社の専務一家4人が遺体で発見された。いずれも胸などに刺し傷があり、県警は当時30歳で元プロボクサーの袴田巌さんを逮捕。取り調べは1日平均12時間、計約430時間におよび、袴田さんは明確に関与を否定し続けたが、過酷な環境下で「自白」を強いられた。
昭和43年、静岡地裁は死刑判決を言い渡し、同51年には東京高裁の控訴審で死刑判決が確定した。弁護団は同56年4月、静岡地裁に再審請求し、平成26年3月に再審開始と異例の釈放が決まり、袴田さんは47年7カ月ぶりに拘置所から出ることができた。弁護団は平成30年、最高裁に特別抗告し、令和6年9月に袴田さんの無罪判決が言い渡された。翌10月、検察は控訴を断念した。
【質問1】
北川:
袴田事件から58年が経過して無罪判決が確定し、冤罪事件であることが確定しました。捜査当局は工場のみそタンク内から見つかった血のついた衣類5点を犯行時の着衣と主張しましたが、裁判所が「捜査機関の捏造の可能性が極めて高い」と認定するなど、証拠の捏造が注目されました。無罪を勝ち取るまでの袴田さんの心労をおもんばかり、一人の国民として検察や警察の犯罪行為に大きな怒りを感じます。
小川弁護士:
捜査機関による証拠捏造は袴田事件のみならず、他の事件でも見られます。捜査する中で犯人だと思い込んでしまうとともに、立証する証拠が不十分で無罪になることを恐れ、捏造に至るケースが多いのではないでしょうか。犯人だという確信が覆ることになれば正義に反するという、後戻りできない状況まで突き進んでしまった結果のように思います。
袴田事件の場合、捜査開始時から(袴田さんの無実を示す)事実が隠されるなど、おかしな捜査が行われました。証拠の捏造も繰り返され、無理に袴田さんを犯人に仕立て上げたとも言えます。証拠を捏造したり、偽証したりして警察や検察が法廷で嘘の証言をすると、それを暴くことは非常に困難になります。袴田事件が長い時間を要した大きな理由でもありました。
捜査機関はあの手この手で証拠を作り上げましたが、科学的に証明することは困難と考え、最後は犯行時の着衣として「5点の衣類」を捏造し、「犯行時はパジャマ」という当初の主張を訂正して有罪を訴えました。しかし皮肉なことに、その重要な物証に多くの矛盾点が生じ、捏造の蓋然性が高いという自己証明につながったのです。
袴田事件の教訓として、捜査機関による証拠捏造や偽証ができない、させないシステムを確立しなくてはなりません。最も重要なことと思いますが、すべての事件に参考人も含め取り調べの全過程を録画する制度を導入すれば、冤罪防止に大きな効果を発揮するのはないでしょうか。不正な取り調べを抑止することも期待できます。
【質問2】
北川:
これまで多くの冤罪事件が繰り返されましたが、被疑者の死亡などで真相が明らかにならず結審に至った事件もあったと思われます。半世紀におよぶ公判が続いた袴田事件を踏まえ、有罪判決を受けた冤罪被害者を救済する刑事訴訟法の再審制度を見直すため、何が必要でしょうか。
小川弁護士
証拠を集める捜査段階には警察への絶対的な信頼が前提としてあり、第三者による検証などはできません。捜査機関を信じるしかないのですが、袴田事件を鑑みれば、いわば無法地帯でした。ドライブレコーダーのように、のちに捜査の妥当性が検証できる仕組みが必要です。
警察庁は警察官にウェアラブルカメラを装着して職務質問や交通取り締まりを記録する試みを今年度から実施する予定ですが、非常に良い取り組みだと思います。いずれは犯罪捜査に携わるすべての人が装着し、捜査が行われることを期待したいです。問題が生じた場合はその映像が証拠になり、捜査機関にとってもメリットがあります。
北川:
デジタル化の良さはどんどん取り入れていくべきですが、日本ではなかなか進まないのが現状ですね。
【質問3】
北川:
袴田事件では多くの支援組織が立ち上がりましたが、どのような役割を果たされたと考えますか。また、再審で極刑が見直され、無罪となった1980年代の「四大死刑冤罪事件」(免田事件、財田川事件、島田事件、松山事件)に加え、袴田事件で5件目となりましたが、冤罪を防ぐ制度改革は遅々として進みません。
無罪判決後、静岡地検の検事正が袴田さんと姉のひで子さんに謝罪しましたが、最高検察庁の検事総長が不満をあらわにする談話を発表するなど反省しているようには到底思えません。
小川弁護士:
袴田さんの無罪判決に行き着くまで、たくさんの支援者の輪が広がり、弁護団と協力して活動してきました。支えていただいた力は非常に大きかったと感じています。(一家4人が死亡するという)決して冤罪を起こしてはいけない凶悪事件でずさんな捜査が行われ、矛盾点が分かりやすく世間に広まったことが背景にあったと思います。
また、平成26年に再審開始が決定し、同時に釈放されましたが、死刑囚でありながら街を歩いたりできたことはインパクトがありました。加えて、弁護団と支援者が互いに情報を共有し、議論し、合宿もしたりして一緒になって活動してきたことは私たちの強みでした。裁判員裁判にもつながることですが、調査内容や事実認定を一般の人が聞いてどう受け止めるかを法廷の外で反すうできたのです。
【質問4】
北川:
昨今、個人同士がネット上でつながるSNSが情報収集の主流ツールとなりつつあります。インフルエンサーなどを介してSNSで多くの冤罪事件を知らしめ、司法改革の声を強くあげていくことは有効な手段になり得るのではないでしょうか。
小川弁護士:
米国など海外では裁判の映像が動画サイトで中継されることがありますが、事件の審理に関心を持ってもらうための重要な一歩になるかもしれません。
袴田事件の再審公判で、一般傍聴人は約20人しか入れないため、ビデオカメラで撮影して別室で傍聴できないかという提案があったのですが、前例がないということでできませんでした。こうした別室中継を含め、プライバシーが保護されることを前提に検討していくのもよいのではと思います。